本文へ移動

ヤクルトの原点

ヤクルトの創始者 代田 稔 (シロタ ミノル)

医学博士
株式会社ヤクルト本社
元代表取締役会長兼中央研究所長
明治32年     長野県飯田市に生まれる。
大正10年     京都帝国大学(現京都大学)医学部入学。
昭和  5年     医学博士の学位を得る。
昭和  6年     医師免許を取得。
 
生涯を腸内菌の研究と予防医学の普及に捧げ、
昭和57年 82歳の天寿を全うし、その生涯を閉じる。
正五位、勲三等瑞宝章

ヤクルトの原点は・・・

大正10年、京都帝国大学に入学した代田稔は医学の道を歩み始めました。

当時の我が国は、まだまだ子供たちの栄養状態も良くなく、現在なら治ってしまう病気でも、命を落とす子供が数多くありました。

その現実に胸を痛めていた博士は、微生物を勉強し、赤痢やチフス等の病気を予防する研究を志します。

熱心な研究を続けていたある日、乳酸菌がおなかの中の悪い菌を退治することを発見しました。

やがて世界で初めてその乳酸菌を強化培養することに成功し、それはシロタ株と名付けられました。

さらに代田博士は、出来る限り安価で多くの人々にシロタ株を役立てようと、おいしい飲物にする研究を続けました。

こうした代田博士の熱意が乳酸菌飲料ヤクルトを生み、1935年(昭和10年)、福岡市に「代田保護菌研究所」を設立し、ヤクルトの販売組織がスタートしたのです。

代田イズムとは?

ヤクルトの創始者である代田稔博士は、約80年前、病気にかからないための「予防」が大切であるという考え方(予防医学)を提唱しました。

さらに代田博士は健康を支えるのは栄養を吸収する腸であり、従って「健腸長寿」、つまり腸を丈夫にすることが健康で長生きすることにつながると考えました。

そして、そのためには腸を守るラクトバチルス カゼイ シロタ株を、一人でも多くの人に手軽に飲んでもらえるように誰もが手に入れられる価格で、ヤクルトの製造・販売を開始しました。

代田博士のこの考えは、「代田イズム」と呼ばれ、当社の創業の精神として、日本はもとより世界のヤクルトの基盤となっています。
 
TOPへ戻る